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高知地方裁判所 昭和54年(ワ)154号 判決 1984年9月27日

原告

大石朝幸

原告

大石昌子

右両名訴訟代理人

小松幸雄

被告

医療法人千博会

右代表者理事

古谷政子

右訴訟代理人

氏原瑞穂

南正

被告

医療法人新松田会

右代表者理事

松田義朗

右訴訟代理人

大坪憲三

石川雅康

横川英一

松岡章雄

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一原告大石朝幸は忍の父、原告大石昌子は忍の母であること、被告千博会は須崎市で古谷病院を開設する法人であり、伊藤医師は同病院に勤務する外科医であること、昭和五三年五月五日原告両名が忍を代理して被告千博会代表者との間で忍を同病院で治療して貰うことの合意をしたこと、被告新松田会は高知市で愛宕病院を開設する法人であり、松田医師は同法人理事長、同病院院長で外科医師であること、同月七日、原告両名が、古谷病院の伊藤医師を介して、忍を代理して、被告新松田会代表者との間で、忍を愛宕病院で治療して貰うことの合意をしたこと、忍は昭和五三年五月八日愛宕病院において死亡したことについてはいずれも当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる、

(一)  忍は須崎市安和にある祖父草野正 ママ、祖母草野英子方に来ていて、五月五日昼過ぎ一人近所へ遊びに行き、国道五六号線と県道とがトンネルにより立体交差状になつている付近で花を採ろうとしているうちに、誤つて約四メートルの高所から下の道まで転落し、頭部や両手に受傷した。そして泣きながら帰つているところを草野正 ママ方の近所の者達が見付けて草野方ヘ連れ帰り、祖父の草野正 ママや父らが同日午後三時前ころに、当日の祭日当番医であつた古谷病院に忍を搬送して診察を求め、伊藤医師の診察を受けた。

(二)  伊藤医師は、忍については初診であり、忍のレントゲン検査の結果によると、頭蓋骨骨折を認めず、両側尺骨橈骨骨折、左環指挫傷を認め、また、その他の診断の結果では、前額部を打撲して腫脹があり、左環指に受傷があり、右前腕に変形、左前腕に疼痛があり、両眼瞼に腫脹があり、瞳孔は円形、対光反射は正常、膝蓋腱反射は正常、悪心、嘔吐はなく、意識は清明であり、なお超音波検査では第三脳室に偏位が認められなかつたことから、麻酔剤ケタラール(50)1.8ミリリットルの臀部注射による麻酔のもとに骨折、左環指挫傷についての施療をし、かつ、前示所見からは頭蓋骨骨折、頭蓋内出血の徴候は認めないと判断したが、万一を慮り、一応予防的に止血剤レプチラーゼの筋肉注射を行つたうえ、経過観察をするのが相当と判断した。

(三)  その後、伊藤医師は原告らに以上の所見や施療についての説明をした後、原告らの居住地である高知県吾川郡伊野町所在の病院で忍が治療を受けることも可能である旨を原告らに告げたが、草野正 ママ夫妻らが古谷病院でそのまま治療を受けることを希望し、即日忍は同病院に入院した。

(四)  伊藤医師は、忍については前示のとおり安静による経過の観察が相当であると判断し、当日は忍の頭部冷却のみをして経過の観察に終始した。

忍の入院時の血圧は一〇〇―七〇mmHg、脈拍は毎分九〇、呼吸は毎分二七であり、同日年後四時三〇分にはケタラール麻酔より覚醒し、午後五時の血圧は九六―六〇mmHg、意識混濁、悪心、嘔吐はいずれもなく、軽度の頭痛と両手関節部疼痛を訴え、午後七時には血圧は一一〇―六〇mmHg、脈拍は毎分七二、体温は三七度一分であり、いずれも脳死亢進症状は認められなかつた。たゞ、夕食には全粥を給与されたが、水分のみを摂取するに止どまつた。そしてその夜は格別のことはなく、忍は熟睡した。

(五)  翌六日、忍は午前六時ころ目を覚まし、ヤクルトが欲しいということから草野英子がヤクルト一本と苺二、三粒を食べさせたところ、三〇分後にこれを全部嘔吐した。草野英子はこのことを看護婦に告げたが、看護婦は「心配はない」と述べた。午前七時ころ、朝食が出されたが忍はこれを摂らなかつた。なお、右同時刻ころの忍の血圧は一〇〇―六〇mmHg、脈拍は毎分七二、体温は三九度六分であつた。しかし、同日の朝、忍には意識混濁は認められなかつたが、前額部から両眼瞼にかけて腫脹が極めて著明となり、頭痛、両手関節部の疼痛もあるものとみられたので、伊藤医師は午前七時すぎに鎮痛解熱剤インテバン坐薬二分の一を挿入させ、更に消炎剤デキサシエロソン2.5ミリグラム(副腎皮質ホルモン剤)の筋肉注射をし、水薬鎮静剤エントラシロップ九cc(抗ヒスタミン剤)、解熱剤サチポンシロップ七cc、止血消炎剤レクトーゼシロップ八ccを投与した。午前一一時四〇分ころには忍の血圧は一〇〇―五〇mmHg、体温は三七度二分となつた。昼食は欲しなかつたので、草野英子がジュース(ネクター)少々を飲ませた。そのころ忍は目は見えないようであつたが気ママ嫌は良く、英子に事故の状況や履物を現場へ片方放置してあることなどを話した。

午後三時ころ血圧は九六―六〇mmHg、体温は三七度五分となり、意識混濁は認めず、頭痛、両手関節部痛を訴えるのみであつたが、午後三時一〇分ころと午後四時三〇分ころの二度にわたり、忍は摂取物を嘔吐した。午後四時三〇分、同五五分ころの血圧は九八―六〇mmHg、体温は三九度で、忍はお茶を摂取したが嘔吐はなく、午後五時二〇分ころ、病院側は忍に化膿防止剤リンコシン三〇〇ミリグラム(抗生物質)の筋肉注射とインテバン坐薬二分の一の挿入をした。忍の午後七時の血圧は九六―五〇mmHg、体温は三八度四分、午後九時の血圧は九四―五〇mmHg、体温は三七度四分、午後一一時の血圧は九六―四〇mmHg、体温は三七度二分であり、食欲はなく、頭痛を訴えていたが症状の著明な変化はなかつた。

(六)  翌七日午前七時の忍の血圧は九六―五〇mmHg、体温は三七度七分であり、ヤクルト六五cc、粥二口を食するも嘔吐はなかつた。午前九時二〇分ころ、体温は三七度八分となつた。病院側はそのころインテバン坐薬二分の一を挿入し、消炎剤デカドロン四ミリグラム(副賢皮質ホルモン剤)の筋肉注射を行つた。なおそのころ伊藤医師の回診があつたが忍には意識混濁、瞳孔左右差はいずれも認められず、相変らず顔腫脹があり頭痛を訴えていた。

午後零時二〇分の忍の血圧は九六―五〇mmHg、体温は三七度一分であり、忍は昼食としてヤクルト一本、苺一個を摂取したが、一時間後と午後五時三〇分に摂取物を嘔吐した。

午後三時一〇分の忍の体温は三七度六分、午後五時三〇分の体温は三七度であり、右の嘔吐後頭痛を訴えたので病院側ではインテバン坐薬二分の一を挿入した。午後六時三〇分には血圧は九六―五〇mmHg、体温は三八度三分であつたが、その後間もなく全身けいれんが発生した。右けいれんは数分間で解除されたが、伊藤医師は鎮静剤、精神安定剤一〇パーセント、フェノバール一アンプルを皮下注射させた。当時、忍は嘔吐をはさんで頭痛、疼痛を訴え、泣いていたが、午後七時には血圧は一一〇―六〇mmHg、脈拍は毎分八六、体温は三八度三分であり、頭蓋内血腫の症状、徴候は認められなかつたが、伊藤医師は、忍について脳浮腫のような頭部挫傷に起因する何らかの症状が増強してきたものと判断し、脳神経専門の治療態勢が整つている愛宕病院で治療を受けた方がよいと考え、その旨を原告らに告げ、原告らもこれを承諾した。そして、午後八時三〇分ころ忍は救急車で古谷病院を出発し、午後一〇時前ころ愛宕病院へ到着した。

(七)  愛宕病院では事前に伊藤医師らからの連絡を受けていたので、受入態勢の準備をしており、忍が到着するや直ちに診療を開始したが、既に忍の意識は昏睡状態にあり、顔面は蒼白で、瞳孔は散大して左右差があり、対光反射は両側マイナス、角膜反射もマイナス、痛覚はなく、諸反射もなく、体動も全くなかつた。レントゲン検査の結果によると頭蓋骨骨折はなく、両側前腕骨折があつた。また、頭部コンピューター断層レントゲン撮影(CTスキャンNo.二一一)による松田医師らの所見では全般的に白質がやや低吸収で、脳室が少なく、正中線には移転はなく、左側脳室の脉絡叢の石灰化があつた。なお、はつきりした高吸収域の部位はなかつた。以上により松田医師は忍の病状は大脳全般の浮腫と診断した。

そして、検査終了後、松田医師は忍の家族に対し、(1)摘出すべき血腫がないため、開頭術の適応はないこと、(2)現在すでに脳幹部ヘルニヤの状態にあり、レスピレーターによる人工呼吸、点滴静注による強心剤投与だけしか方法は残されておらず、事態は絶望的であることを説明した。

松田医師はハードレスピレーターによる人工呼吸や、生血二〇〇cc、ソリタ三号二〇〇cc、プロタノール2A、ノルアド1A、ネオフィリン12A等を投与したが、忍は午前ママ一一時ころ脳死の状態に陥り、五月八日午前二時五五分脳死の状態が確立し、以後体温は次第に低下し、血圧も低下し、松田医師は心電図により午前九時四四分に忍の死亡を確認した。

(八)  伊藤医師は一〇例程度の開頭手術の執刀を主治医または補助医として経験しているが、古谷病院には開頭手術を行うために必要な手術器械や手術部位を決めるCTスキャンの設備がなく、開頭手術を行うための麻酔医や熟練した看護婦がいないため、古谷病院で開頭手術を行うことはできない状態にあつた。

もつとも、古谷医院の診療録には前示超音波測定とその結果が欄外に記入され、更に、伊藤医師が記入したものとはみられない忍の症状記録や忍に対する処方、処置が、伊藤医師が記入したものとみられる診察結果と混在して記載され、その結果伊藤医師の診察と忍に対する処方、処置の前後関係が明瞭でない部分があり、更にまた、伊藤証人の証言によると右超音波検査料の費用請求がなされていないことが認められ、これに加えて、証人草野正、同草野英子は忍に対する診察状況や処置、忍の症状が右の記載とは異なる旨の証言をする。しかし、伊藤証人の証言では、同証人は多忙なことなどもあつて日頃からこのような診療録の記載方法をとつているというのであり、証人草野正、同草野英子の各証言によれば、同人らは他の家族らと交代して忍の付添をしていたものであるうえ、医療は専門外のことでもあり、加えて忍の事故やその後の症状の変化、更にはその死という思いもかけぬ事件に動転していたものとみられるから、その記憶が必ずしも正確かつ十全のものとはみられないこと、更に、<証拠>及び鑑定の各結果に照らせば、伊藤医師が特にその診療録に作為しなければならない程の事情はないと認めることもできることを総合すれば、前記の記載形式等は右書証の証拠価値を左右するものではないとみられる。

三前記二の認定事実、<証拠>、鑑定人林成之、同森恒之の各鑑定の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  頭部外傷の重軽症度と予後判定上、最も大切な基準となるのは患者の意識状態である。そして、忍は受傷時意識喪失を伴わない頭部外傷患者であるとみられ、仮りに、これを伴つていたとしてもごく短時間であつたと推測されるので、忍の受傷は、頭部外傷としては軽症であつたと判断される。そして、医学上の診療基準としては、このような場合、特別な措置を行わず、ごく稀に後になつて起こるかもしれない頭蓋内血腫などの続発性の具体的な症状を患者並びに家族、付添人などに教えて帰宅させる。たゞし、短時間の意識喪失を伴ういわゆる脳震とう型に対しては、場合によつては数日間入院の上経過観察をする。具体的には、意識状態の変化、頭痛の増強、嘔吐の反覆などの脳局所症状の出現、バイタルサインの変化などを観察し、頭蓋内血腫などの続発性症状の存否を確認する。とされている。しかし、忍の右頭部外傷は続発性症状を起こすようなものとみられるものではなく、現にその後に検査されたCTスキャンの所見上、忍には頭蓋内血腫はみられない。

(二)  もつとも、忍は軽症の頭部外傷とみられるにもかかわらず、小児とはいえ、頭痛、頻度の嘔吐、発熱、けいれん発作の症状を起している。これらの症状は通常続発性の症状として認められることが多く、そうすると忍については頭蓋内血腫の存在を疑わねばならないといえる。そうすると、前示のとおり現実には忍には頭蓋内血腫は存在しなかつたのであるが、右の如き症状をみた伊藤医師が忍をCTスキャンのある愛宕病院へ転送する措置をとつたのは相当な措置であつたとみられる。

(三)  忍の死亡原因を頭蓋内血腫や脳浮腫とすることは相当とみられない。すなわち、頭蓋内血腫についてみると、忍の症状に似ているものに(1)硬膜外血腫、(2)慢性硬膜下血腫、(3)脳内血腫の小さいものの三つが挙げられるが、忍のCTスキャン所見でみる限り、忍には脳挫傷や頭蓋内血腫など脳幹部が直接外傷を受けて死につながつたとすることを示すものは全く認められず、右の三つの症状は忍のCTスキャン所見では存在しない。

また、脳浮腫についてみると、頭部外傷によつて死に致る脳浮腫が起つたとするには、臨床的に受傷直後から昏睡状態を示す強い意識障害がみられなければならず、CTスキャン所見上では脳が圧迫されている圧排像がなければならないのに、忍には右のような意識障害はみられず、忍のCTスキャンを検討すると、側脳室、第三脳室が軽度縮少しており、大脳半球全般の脳浮腫の存在の可能性は考えられないものではないが、局所的な脳浮腫は存在せず、右CTスキャンは正常範囲のものと診断する医師も相当あるとみられるものである。

(四)  そこで忍の死因として考えられるものとしては、

(1)  腕に骨折があつたために、骨折部の骨から脂肪が遊離して脳の末梢血管の方々を閉塞する脂肪栓塞を脳に起こし、このためにけいれん発作を起こし、これが更に衰弱した心肺機能に影響を及ぼし、心拍出量の低下から大脳や脳幹部に脳虚血と低酸素症を惹起して死亡した。

(2)  頭蓋内圧亢進により、頭痛、嘔吐をくり返した結果、水分電解質異常により脳に微小循環障害が形成され、一部脳浮腫の病態も加わつて、脳に悪影響が及び、これによつてますます頭蓋内圧の上昇を惹起し、嘔吐をくり返した。これによつて心臓に末梢血管抵抗の上昇による負担から心拍出量の低下と腹圧上昇による頭蓋内圧亢進が増強され、これが死につながつた。

(3)  脳腫脹のため、頭蓋内圧亢進を起こし、嘔吐をくり返していたが、単なる誤嚥によつて呼吸不全となり、けいれん発作と低酸素症を起して死亡した。

(4)  外傷前から脳に感染症があつて、ちようど受傷時に重ねて髄膜炎が悪化し、それによつて死亡した。

(5)  てんかん症状(五〇〇分の一の確率)がひそんでいて、受傷が誘因となつて発症し、誤嚥により窒息死した。

などが考えられ、その可能性の大小を論ずることができるが、そのいずれかであると確認することはできない。たゞ、いずれにしても頭部の受傷が直接の死因となつたとは考えられず、更に他の病態が関係して死に至つたとみられるが、この他の病態の予見をすることは通常以上の医師でも困難であり、それを予知することを伊藤医師に求めることはできない。

(五)  そして、忍のCTスキャンの所見上では、忍には外科的治療の適応はなかつたものとみられる。また、忍は愛宕病院に到着後一時間位で脳死状態になつたものである。

四そうすると原告ら主張の如く、伊藤医師としては、忍を早期に脳神経外科専門医に治療させるべきであつたとの事情は存在しないし、その他伊藤医師の忍に対する治療に特に通常の医師として不適切な点があり、それが忍の死につながつたとすることもできない。

従つて、伊藤医師には忍の治療について過失はなく、ひいては、被告千博会に忍の死についての責任を負うべきであるとすることはできない。

五また、松田医師についても、原告ら主張の如く忍の開頭手術をすべき事情は存在しないのみならず、忍は同病院到着後約一時間で脳死状態になつた以上松田医師としては原告ら主張の手術をすべきではなく、また、松田医師が右手続を行なわなかつたことが忍の死につながつたとすることができないことも明らかである。

従つて、松田医師には忍の治療について過失はなく、ひいては被告新松田会に忍の死についての責任を負うべきであるとすることはできない<以下、省略> (金子與)

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